時間を測るのになぜか長さの単位 「尺」
「尺」(しゃく) とは、長さ、丈をあらわす言葉です。 元々は現在のメートル法の前に使われていた旧尺貫法による長さの基本単位のことですが、芸能関係や舞台関係、あるいは おたく の世界でも映画やテレビ・ラジオ番組、舞台といった映像・動画 の時間的長さ、再生・放映時間を指すことが多いでしょう。 尺を時間に対して使うようになったのは映画の世界からで、撮影・上映のためのフィルムの長さから来ています。
尺は人の手の親指と人差し指を広げたときの指先間を2倍したものが由来したとされます。 一尺はフィート (呎) だと1.083ft、センチメートル (糎)でおよそ30.303cm になります。 足のサイズが由来となるフィートはアメリカでフィルムの長さ (時間) として用いられており、これが日本に入る中で偶然ほとんど同じ長さで便利だったため、そのまま尺=フィート=時間の扱いで用いられるようになっています。 尺はこの他、和服とか武道とか伝統芸能関係といった世界の物差しとして使われ続けており、建築関係でも慣習的に建材や道具類、間取りの寸法を指す単位として寸 (すん) や間 (けん) などとともに単位の一部に残っています。
なおテレビやラジオの番組放送や ネット の 生配信 などの場合は、放送や 配信 が行われる時間を 枠 と呼ぶことがあります。 この場合、文脈によっては枠と尺が同じ意味で使われることもあります。 長時間放送や配信に対して、枠が長い=尺が長い といった使い方です。
映画用フィルムの尺が長いと、撮影・上映時間も長くなる
ひと昔前までの映画は長くつながった銀塩フィルムを用いて撮影し、それを現像して映写・上映します。 フィルムが長ければ撮影時間も上映時間も長くなりますし、短ければ時間も短くなります。 短いフィルムで撮影しても現像後に 編集 でつなぎ合わせればいくらでも長くできますが、上映するためには映写機が必要で、その映写機にかけるフィルムを巻き取るためのリール (巻き枠) のサイズには制限があります。 おのずと上映可能な時間も限られることとなります (昔は長編映画の上映の際は、途中でフィルム交換のための休憩を挟んだりしました)。
フィルムの長さや巻いた時のサイズ、上映時間の関係は、フィルムの大きさ (商業映画用の 35mm か一般向けにもよく用いられた 16mm や 8mmか) によっても、フィルムの規格やメーカーによって異なるフィルムベースの厚みの差によっても、あるいは撮影・上映時のフィルム送りの速度 (コマ数/ フレームレート (商業映画は 24コマ/ 秒、個人用18mm では 18コマ/ 秒が一般的) によっても変わります。 いずれにせよ長ければ長いほど時間も長くなり、長い映画は長編の他に 長尺、短ければ短編の他に 短尺 と呼びます。
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8ミリの映写用フィルム |
ちなみに個人向けの映画機材で日本でもっとも普及したであろう富士フィルムのフジカシングル8の場合、1本のフィルム (カートリッジ) に40フィート (約12.192メートル) のフィルムが収められ、専用の8ミリシネカメラで2分40秒ほどの撮影が可能です。
リールの大きさは号数で区別され、おおむね3号から7号までのプラスチック製のものがよく使われていました。 例えば3号リールなら直径7.5cmで75ft (22.86m) のフィルムが巻けます (コダックのダブル (レギュラー) 8とか、その後継のスーパー8ではまた異なります)。
映画ブームと趣味のコマフィルム収集
日本の映画の歴史は1896年 (明治29年) の神戸・神港倶楽部でのキネトスコープ公開および翌年の京都でのシネマトグラフ公開に始まりますが、1912年 (明治45年) には日本活動写真株式会社 (日活) が発足し、本格的な映画産業が産声を上げました。 現在も存在する松竹 (1920年/ 大正9年) をはじめ大小さまざまな映画会社が立ち上がり、新しい娯楽として映画が庶民の間で人気となっていました。
これと前後して、時間を尺で表現する映画業界的な言葉が早くも大正時代には一般層にも少しずつ浸透していたようです。 当時の映画は映画館や興行主が配給元から上映用フィルムを買い取って興行するケースがあり、また上映を終えると不要となったフィルムをコマごとに切り離してプレゼントしたり駄菓子屋などで子供向けに販売される習慣があり、その収集がブームになっていて言葉が 共有 されていたこともあります。 1コマだけのものもあれば数コマつながった尺の長いもの、さらに映画館などから長尺のフィルムが流出することもあり、マニアの間で言葉として使われていたのですね。
コマごとに切り取ったフィルム (コマフィルム) のプレゼントは、現代でも似たようなサービスとして映画館での鑑賞特典としてしばしば行われています。 しかし現代のそれは専用に作られた複製フィルムや模造フィルムなのに対し、当時のそれは本物の上映用フィルムのコマ切れであり、大変貴重なものでした。 これは結果的に過去の名作フィルムの喪失などにつながっていますが、大正から昭和にかけ、郵便切手やコイン収集同様、趣味 のコレクションとして楽しんでいる人が結構いるものでした (少年誌に連載されていた マンガ なども実物の 原稿 のコマを切り取って 読者 にプレゼントしていたような時代もありましたし、このあたりの 雑 さは現代では考えられませんね)。
映画産業はその後も盛り上がり、いわゆる娯楽の王様と呼ばれたのは戦争を挟んだ後の1950年代から1960年代で、東宝 (1932年)、大映 (1942年)、東映 (1951年/ 東横 (1938年)・太泉(1947年)・東京映画配給 (1949年) が合併) といった映画会社が設立され、大量の娯楽映画を供給するようになってからです。 その後は東京オリンピック (1964年) を機に一気に普及したテレビに、娯楽の王様の座を明け渡すこととなります。
ちなみに2000年8月にはシネコンがデジタルシネマ上映を開始し、映画それ自体も映像、音声、字幕などのデータをまとめた DCP (デジタルシネマパッケージ) に移行しています。 動画形式 はJPEG2000形式で圧縮された 静止画 を 連番 で管理するデータとなっています。 現在は一部のマニアックな 作品 や小規模映画館での興行をのぞき、ほぼ全ての映画や映画館が興行のための工程をデジタル 環境 へ移行し、そもそもフィルムそのものが存在しません。
映画からテレビ、物語の時間軸や動画サイトの投稿にも
一方、時代を下るとラジオ (1925年) やテレビ (1953年) の放送が始まり、同じように音声や映像を扱う用語の数々がそのままその業界にも持ち込まれます。 「尺が長い」(時間が長い) とか 「尺が余った」(時間が余った) みたいな使い方もそのまま踏襲され、とくにテレビ番組などで主にお笑い芸人などが内輪の ネタ や業界の話としてしばしば使っていて、それがそのまま 視聴者 らにも伝わってより一層広く用いられるようになっています。
お笑い番組だけに揶揄や笑える使い方が多く広まり、例えば内容が薄いのにダラダラと続けることを 尺稼ぎ (時間かせぎ)、尺の無駄 なら 「時間の無駄」 や 「お前などカメラに映す価値がない」 みたいな意味として一般化します。 また映像や動画ではないマンガや小説といった 物語 の時間軸を持つ読み物でも、話数稼ぎや引き伸ばしを 尺延ばし みたいに表現することがあります。
こうした言葉はおたくの世界ではドラマや アニメ などの評価する際にも揶揄やネタとして用いますが (露骨な尺稼ぎとか、こいつを映す尺がもったいないとか)、その後はニコニコ動画や Youtube といった 動画サイト に 投稿 された動画に対してもよく使われるようになります。 とくに Youtube の収益化に一定の長さが必要あるいは有利となると、そのための 尺の調整 がしばしば行われます。
ちなみに生放送以外のドラマや番組収録でしばしば映画同様にフィルムを使っていたテレビ業界は一足早くビデオに移行し、時代劇や特撮などは1990年代中頃までと比較的長くフィルムを使い続けていたものの (フィルム+ドラマでフィルドラ、ビデオならビデドラみたいに呼ぶことがあります)、その後は一部の例外を除いてビデオに移行しています。
フィルム撮影特有の質感や 解像度、フレームレートの違い、当時のビデオとは異なる画面サイズ (縦横比) から作り手のこだわりも感じられますが、ビデオ技術やデジタル技術の発展、ワイドテレビの普及や地上波の デジタル化 などにより優位性は縮小し、現在は映画と同じようにデジタル機材が用いられ、物理的な尺があるビデオテープ (アナログ・デジタルともに) もあまり使われなくなっています。
放送業務用のビデオカメラや デッキ といった機材 (特機) は価格も高く、また折しもバブル経済が崩壊し不景気となった時期と重なったこともあり、地方局や下請けの制作会社などでは機材更新が進まない状況もありましたが、カメラ本体やレンズはそのままに記録部分 (例えばドッカブルレコーダーとか) だけをデジタル化する機材や改造なども登場し、今ではその多くが映画もテレビもネットも全部データでやり取りする時代となっています。
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