本筋と関係のないところがひっかる 「鑑賞におけるマルチタスク」
「鑑賞におけるマルチタスク」 とは、何らかの 作品 や 物語 を鑑賞する際に、それが映像作品であれ文章作品であれ、視聴者 や リスナー、読者 といった受け手が頭の中で情報をどう処理するか、いくつかの処理を同時並行 (マルチタスク) するとしてそれがどのような配分になるかに注目する考え方です。 タスクではなくシンク (思考) で表現することもあります。
例えば生き別れた家族と再会するというシーンがあったとします。 多くの人はそのシーンに至るまでの作品や物語全体の流れを踏まえて、「やっと出会えた」「よかったね」 などといった 感想 を持ち、それを頭の中で処理するでしょう。 これは作品や物語の 「本筋」 といっても良いかもしれません。
一方で人は、それと同時にこれまでに受け取った情報を処理しながら別のことを頭の中で考えたりします。 例えば再会した家族が同じ アクセサリー を持っている、顔や 髪型、服装の好みなどが似ているといった描写があった場合、「やっぱり家族だ」「これまで色々あったけど思い出のアクセはちゃんと持っていたんだな」 などと再会そのもの以外のあれこれを頭の中で想像して、一層再会の喜びを強く認識するでしょう。
実際はこのほか、「BGM が感動的だ」「背景もキレイだ」「涙の描写が素敵だ」「この構図は感動シーンが際立つな」 などと、様々な情報を頭の中で処理します。 場合によっては 「時間的に作品全体の終わりの方だから、このまま終わってハッピーエンドだな」「終わったらご飯たべなきゃ」 など、作品の中ではなく メタ的 な要素が入ったり、作品とは関係のないことまで考えることもあるでしょう。
伏線や演出によって、受け手の感情を一点に集中させる
これら複雑な要素のあれこれは、プラスに作用することもあれば、マイナスに作用することもあります。 適切な 伏線 や演出によって受け手の注目すべき点や思考処理の力点を一点に集中するよう誘導すれば、感動は何倍にも増幅し、いわばそれぞれの要素を掛け算するような大きな感動や 感情移入、納得感を実現できるでしょう。 しかし要素がちぐはぐであればそれが雑音となり、違和感や不快感を与え、せっかくの感動シーンが台無しになったりもします。
緻密な伏線張りとか効果的な演出は、登場人物たちが織りなす出来事や感情を、単に時系列で並べただけの記録を感動物語にする力を持っています。 あまりにわざとらしかったり押しつけがましいものとなっては作為を感じて興ざめですから、作り手は受け手の理解力をある程度信頼し、説明し過ぎないように適切に各要素を積み上げなくてはなりません。 このあたりに十分に配慮できるかどうかが、好きなことだけを 趣味 で描く人と、見る人を楽しませようと工夫するクリエイターやプロとの差なのでしょう。
筋書きや 設定、世界観 さえしっかりしていれば面白いはずだ、と思う作り手は結構います。 場合によってはそれらすらどうでもよく、テーマ や メッセージ さえ優れていれば、それをどう語るかなど些細なものだと考えるような人もいます。 どんな作品をどう描くかはその人の自由ではありますが、あまりに独りよがりな描き方は、他人を感動させることもできなければ、メジャー な世界で成功することもないでしょう。
凝った伏線や演出、分かりやすさや受け手を信頼した大胆な語り方は、しばしば 「見た目だけ」「大衆的な エンタメ によりすぎた陳腐な商業主義」 だと批判されがちです。 しかし人は理屈ではなく感情でもものを考えるので、理屈と感情、物語の筋や流れと伏線や演出とをどうバランスさせて提示できるかに作品や物語の魅力が隠されているのでしょう。
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